一年の終わりは良い凪だった

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一年の終わりに良い凪に恵まれた。
ENして水中に顔をつけると、静まり返った朝の海が広がっていた。
寒さのためか、イワシなどの小魚が浮かんだまま動かない。
そっと魚の中に分け入って行く。
すぅーっとそこだけ魚が分かれて道が出来る。
ぴきぴきという音だけが沈黙の世界に静かに響く。
朝一番の海。
ただ浮かんでいるだけで清らかな気持ちになれた。

今年も一年、たくさん海に潜ることが出来た。
今年も一年、つつがなく、海に潜ることが出来た。
海に感謝。

何もいないと言うけども

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一気に水温が下がり、海中は少し寂しくなった。
自分を含め、陸上では「何もいないね」と言うフレーズが良く聞こえる。

ああ、我々はなんて贅沢になってしまったのだろうか。
水中には流れるようなイワシ、動きが鈍く固まっているイシモチ、低水温を喜ぶウミウシたち、群れるクロサギやボラ、今年はサビハゼも大繁殖。海の中は命で満ち溢れているのに。

これは、我々が安良里の海のゴージャス感に慣れてしまっているからだ。何もせずにこれだけネジリンボウが見られる海が外にあろうか。毎年、毎年レアもの、稀種といわれる魚たちが流れてきては手厚く保護され、ほぼ訪れるダイバーの全てが見ることが出来る海が外にあろうか。

我々は慣らされてしまったのだ。
この贅沢な海に。
だから我々は何もいない等と平気で言う。
海の中には命が満ち溢れているのに。

別のブログで環境について、我々は昭和60年代の消費水準に戻れるかという問いかけをしていたが、これはマクロ経済科学の定説で消費の非可逆性という古くからの命題がある。

一度良い水準の生活をしてしまうと、それより低い水準の生活レベルに人はなかなか戻ることができないというものだ。

安良里の海で潜る我々は果たして幸せなのだろうか?

とりあえず私は幸せだ。
特にこの時期誰もいない風呂でウェットを脱ぐ瞬間、私は一週間分の幸せを感じる。

(上)隠れてもすっかり丸分かりスカシカシパン
(下)青い星が綺麗なクロスジアメフラシ
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何のため?

今日も西風が吹いていたが、先週ほど海は荒れていなかった。
話題のホタテツノハゼを探して海底をはいつくばっていた。
が、水温の低下はハゼには辛かったか、
目に付くのはガンゼキフサゴカイの棲管ばかり。
綺麗なのがあったので撮ってみた。
ゴカイには奇抜なデザインのものが多いが、この種の棲管はオブジェチックで海中で特に目に付く。
ガンゼキフサゴカイ=ゴカイというからには管の中にはにょろにょろのゴカイがいる。
こいつは細い触手を伸ばして棲管に小石貼り付け補強する。
放射状に伸ばした細い棘は一体何のためにあるのだろう?
自然のデザインには全て何らかの意味があると思うのだが、
それは人間には決して推し量れない大いなるものの意味なのだろうか。
もしいつか、ゴカイと意思を通わせることが可能になったら、
是非一度聞いてみたい。
「そんなのおいらにも分からないニョロ」
と言われそうであるが...

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人間の勝手でしょう!

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ベンガルフエダイ(幼魚) Lutjanus bengalensis フエダイ科  
僕を見ると大抵のダイバーは
「おっ、ヨスジ」寒いのに頑張ってるな~と素通り
たまに気まぐれに徒然に泳ぎを止めて写真を撮って行ったりする
でも最近変なヤツが来て僕のことを「ベンガル、ベンガル」と呟きながら
いつまでもどこまでも追いかけてくるんだ
しかも変な棒で、背鰭数えてる???
なんなのコイツ!
なんて呼んでも勝手だけど、しつこく追いかけて来ないで~